放送禁止になった歌のまとめpart1
2022/07/23
放送禁止になった歌のまとめpart1です。
放送禁止なった歌をまとめてみました。
くそくらえ節
『くそくらえ節』は、フォークソング歌手岡林信康の歌である。
ビクターレコードからデビュー曲として発売される予定だった。
しかし「くそくらえ節」と言うタイトルではまずいと言うことで「ほんじゃま おじゃまします」とタイトルが改名された。
しかし歌詞に問題ありと言うことで見本盤までは制作はされたが、発売中止になった。
1969年8月21日、「題名自体が下品なもの」であるとして日本民間放送連盟による放送禁止になった。
ヨイトマケの唄
発表後間もなくして歌詞の中に差別用語として扱われる土方とヨイトマケという言葉が含まれている点などから、
日本民間放送連盟により要注意歌謡曲に指定された事でそれ以降原則として民放では放送されなくなった。
この制度自体は1988年に効力を失った。
しかし最後に改訂された1983年の時点で指定されておらずそれ以前の状況は民放連側の記録がなくである。
失効後もしばらくの間この制度の影響を受け続けることになる。
1985年には、夏祭りにっぽんの歌で歌唱している。
1990年には美輪が『ぴりっとタケロー』に出演する際にこの歌を披露する予定だった。
しかし放送局のTBSから歌のカットを求められた。
出演依頼があった際、美輪は歌無しの出演を希望したが、制作会社の強い希望で本曲を歌うことになった。
ところが、放送日2日前に突然「歌は止めて欲しい」という申し出を受ける。
一方的に二転三転する申し出に美輪は憤慨し、出演自体を取り止めた。
このことがきっかけで美輪はNHK以外のテレビで最近まで歌うことを避けていた。
悲惨な戦い
「悲惨な戦い」は、日本のシンガーソングライターで、当時は「なぎらけんいち」と名乗っていたなぎら健壱の楽曲だ。
このシングルは、当時15万枚を売り上げたとされる。
歌詞の内容は、国技館からテレビ中継していた大相撲の取り組み中に力士の廻しが落ちるという、架空のハプニングの顛末を語ったコミカルなものであった。
しかし日本相撲協会のクレームもあったとされ、要注意歌謡曲指定制度によりAランク指定(放送禁止)の扱いになったとされる。
しかし実際にはクレームはなかったと言われている。
網走番外地
1965年に公開された映画『網走番外地』の主題歌。
レコード売上は公称200万枚。
歌詞の内容は特段問題になるような箇所があったわけではないが全体的なイメージが犯罪の肯定、反社会的な風潮の助長するおそれがあるとして日本民間放送連盟の内部規定要注意歌謡曲指定制度にある「退廃的、虚無的、厭世的言動を、肯定的または魅力的に表現したもの」などに基づいて、放送禁止となるAランク指定を受けていたが、映画公開同年(1965年)にテイチクレコードがレコード制作基準倫理委員会を通さず発売して業界内で問題視された。
その後なし崩し的に、同年にキングレコード、1969年にテイチクレコード、1970年にキングレコード、1971年にクラウンレコードから発売されたが、1972年に各社間での協議により以降レコード化しないという自主規制の取り決めが交わされ、1980年代末に同制度が廃止されるまで発売・放送不可になっていた。