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地域都市伝説 世界一遭難者を出した山は日本に存在する

      2019/09/04

地域都市伝説 世界一遭難者を出した山は日本に存在する

それは群馬県に存在する谷川岳である。

標高は1977mで、さほど高い山ではないのだ。

それでいて、山肌は険しく気象条件も厳しいのである。

3000m級の高山にも劣らない山容を誇っているのだ。

ここは日本百名山の一つであり、

山麓からのロープウェイも整備され気軽に登山できる山になっていて、

首都圏からの距離も近いため、

昨今の登山ブームも重なって、

登山客も増加する一方である。

しかし、

大人気のこの山は多くの登山者の命を飲み込んできた魔の山でもあるのだ。

統計がとられ始めから1930年から現在までに、遭難による死者の数は710名を超えている。

一つの山での死者の数としては世界一で、

ギネスブックにも登録されているほどであるのだ。

多くのベテラン登山家の命を奪ってきた世界の8000m級の山の遭難者全てを合わせても、

死者の合計は600人あまりである。

この数字だけでもいかに多くの人が谷川岳で死亡しているかが、

よくわかるだろう。

谷川岳の中でも、

多くの登山者が命を落としてきたのは一般の登山道ではなく、

東側にある一ノ倉沢を始めとする、

クライミングを必要とするルートである。

谷川岳の東側は、

岩壁が連なる急峻な地形で成り立っており、

多くの登山家は、

誰も登ったことのない岩壁に挑戦し、

命を落としていったのである。

命知らずの、

僅かな登山家しか挑戦しないルートゆえに遭難したばかりか、

さらに痛ましい事態になってしまった例もある。

戦争まっただ中の1942年に一ノ倉沢のクライミングに挑戦した二人の登山家が、

登頂途中に遭難死した事件がそれだ。

当時この二人が登山に出かけていたことは判明していたものの、

どこで遭難したのか分からず、

二人は行方不明として処理された。

それから30年後の1972年、

ある登山家が偶然に白骨化した二人を発見したのだ。

30年あまりにも遺体は放置されたままだったのだ。

谷川岳の岩壁は、多くの登山家を惹きつけながらも、

入った者は二度と帰ることのできない場所だったのである。

そうした中でも、

もっともよく知られるのが1961年に起こった遭難事件だ。

この事件も、

やはり場所は一ノ倉沢だった。

同年9月、

この岩壁を訪れていた登山家は、

どこからともなく助けを求める声を耳にした。

だが、秋の山は霞がかかり、

岩肌のどこから声が聞こえているのか姿は見えない。

次第に声も聞こえなくなる中を、

その登山家は急いで下山し、

警察に通報した。

そして県警の谷川岳警備隊が現場に急行するが、

双眼鏡で岩壁を探る警察官らが発見したのは、

ザイルに宙づりになって逝去していた、

二人の登山家の姿だった。

問題になったのは、

遺体の収容作業だった。

遭難現場は一ノ倉沢でも過去に登頂例が一例しかない、

極めて困難なルートである。

つまり、

遺体を収容するために近づくことすら困難な場所だったのだ。

そこで、

県警は自衛隊に出動を要請する。

選りすぐりの射撃の名手に、

ザイルを打ち抜いてもらい、

下に落ちた遺体を収容しようというわけだ。

しかし、

それも困難を極めた。

数百m先の細い紐を打ち抜くのは、

ほとんど神業である。

実際にザイルが打ち抜けるまで、

射撃が始まってから3時間、

1400発もの弾丸を使うことになった。

この模様は、

当時のニュースフィルムに遺体が落ちていく様を含めて撮影され、

谷川岳は魔の山のイメージをさらに濃厚なものにした。

現在、

群馬県では谷川岳遭難防止条例を定め、

事故の防止に取り組んでいる。

それでもなお、

谷川岳を目指す人々の事故は耐えることはなく、

ギネス記録の更新は続いている。

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